Ω`s Music Film

自称「平成の名曲ハンター」の高校生が、思うがままに音楽を布教するブログです。

私がスピッツ沼に落ちた理由

スピッツ、デビュー32周年、おめでとうございます!

今日は記念すべきデビュー記念日です。また、私がスピッツファンになって、今日で丁度2年が経ちます。そこで今回は、私とスピッツの出会い、及び沼落ちした経緯をお話ししていこうかなと思います。

スピッツの出会いの曲

私が最初にスピッツを聴いたのは、小学生の時でした。丁度インスト曲と野球がマイブームで、J-POPから離れていた時期にあたります。(詳しくはこちらを…↓)

yohaomegakatto.hatenablog.com

その時期に、ラジオのCMで、カバーバージョンではありますが、この曲を耳にしました。


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説明不要ですね。1996年にリリースされた13作目のシングル、「チェリー」です。

あまりにも何回もその曲(のカバー)が流れるCMを耳にしたので、ついには歌詞を覚えて、口ずさんでいました。その私を見て、母はこう言いました。

母「その曲、スピッツっていうバンドの曲だからね」

その時に、私は初めて、スピッツの存在を知りました。…まぁ、当時はバンドであることまでは知らず、「へぇ~」としか思っていませんでした。他に夢中な事が沢山あったので、あまり興味が無かったのでしょうか。

★ちゃんと意識して聴くまで…

「チェリー」を聴いた後、その他にもテレビやラジオで、スピッツの曲が流れていました。その内、これから挙げる3曲については、スピッツ沼に落ちる前に聴いたことがある曲たちです。


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まず初めに、2004年に28作目のシングルとしてリリースされた「あいのり」の主題歌、「スターゲイザー」です。

この曲はスバルの車「フォレスター」のCMで使用されていたので、私はそこで知りました。当時は朝、毎日のようにニュース番組を見ていたので、そこのCMで耳に胼胝ができるぐらい聴いていました。

他にも、アルバム「醒めない」収録の「ヒビスクス」や、1996年にリリースされた14作目のシングル「渚」も起用されていたみたいですが、私が記憶しているのは、「スターゲイザー」のみです。


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次に、2019年に42作目のシングルとしてリリースされた「優しいあの子」です。

この曲は、最近の曲の中でもかなり有名な曲かな?朝の連続テレビ小説なつぞら」の主題歌です。紅白歌合戦出場の疑惑があったのも、この曲です。

多分シングルのリリース当時、ラジオでもよくかかっていたからか、もしくは学校で風の噂ってやつで知ったのか、この曲はどうやって知ったのか、あまり記憶にないです。

でも、弟がアルバム「見っけ」を購入して、それを聴いている時に、「聴いたことあるな…」と思ったので、多分知らず知らずのうちに耳にしていたのでしょう。


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この曲も説明不要ですね。1995年に11作目のシングルとしてリリースされた最高売上を誇る名曲、「ロビンソン」です。

この曲に関しては、本当に覚えておりません!最初に聴いたのはラジオか何かでしょう!…でも、私が中学1年生の頃、放送委員の昼放送で「チェリー」と一緒に流れていたのは覚えているのです。でも、確実にそれが最初ではないはずです。

でも、「声が高いなー」とか、「最近の曲にはない形だなー」みたいなことは思っていた気がします。

とにかく、これらの曲を聴いても、あの「チェリー」を歌っているアーティストと同じ人であることに気付くのは、まだまだ先の話なのですがね。

★私が沼落ちした原因

以前にも話したのですが、改めて…。

私が中学1年生の時の冬、いつも通りラジオを聞いていた時の事、突然流れたこの曲に興味を持ちました。


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1994年に8作目のシングルとしてリリースされた代表曲の一つ、「空も飛べるはず」です。私はこの曲を最初に聴いたとき、衝撃が走りました。昔の曲ではあるけれど、全然古さを感じない、むしろノスタルジックな雰囲気がする。そう思った私は、その曲を気に入りました。

ちょうどその頃、私の父が使っていたiPodを見つけ、今でもバッテリーは弱っているものの、まだ使用可能であることを知った私は、その中に入っている曲や、母が持っていたアルバムを聴いて、スピッツの曲を本格的に聴くようになりました。ここで、「ロビンソン」や「チェリー」、「空も飛べるはず」などが、同じアーティストの曲であることを知ります。

それと同時期に、突然テレビでスピッツの名前を聞いて、シングル曲を一通りききました。ちなみに、私がスピッツ沼にハマったこの頃は2月、丁度デビュー30周年のイベントをSNS上でやっていた時の話です。

★自分の空想の世界でのスピッツ

私はその例のニュースを耳にするまで、てっきりもう解散した、現在は存在しないバンドだと勝手に思っていました。

スピッツがデビューしたのは1991年、同期にはジュディマリなどがいますが、もうデビューして30年、結成から数えるともっと長いバンド、メンバーも50代ぐらいのはずなのに、まだ活動を続けている、メンバーチェンジもしていない、この年になってもまだ元気にライブを行っている、そんな現状を知った私は、驚きました。また、50代なはずなのに、メンバーが年よりも若く感じました。(その時にメンバーの姿を初めて見たので)

そして私は、「ちょっと気になるな、活動を軽く追ってみるか」と思い、公式で公開されているMVをチェックして、少しでもバンドの雰囲気を掴もうとしました。

その時に、一つだけ印象に残っているMVがありました。


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1993年発売の4作目のオリジナルアルバム、「Crispy!」収録、4年後の1997年に16作目のシングルとしてリリースされた、「夢じゃない」です。

このMVは、曲云々ではなく、一つの映像作品としてよくできているなと思います。

…と言っても、元々演劇部で裏方をやっていたので、こういった映像表現とかに目が行っちゃうんですよ。物語にスピッツの曲があいまって、…素直に言いますと、最初は少しトラウマでした。

でも曲も曲でよく、この曲はシングルの中でも好きな曲です。

★デビュー30周年の奇蹟

そんなこんなで2021年3月25日、今から丁度2年前の今日、デビュー30周年の記念すべき日になりました。私は朝早く起き、「折角のデビュー記念日だし、何かスピッツの曲を聴いて目を覚ますか」と思い、スピッツの公式YouTubeチャンネルへ直行しました。そこでは、私がまだ知らない、見たことのない曲がありました。最初は無視していたものの、何度かホームのオススメに出てきて、耐えきれなかった私は、その曲を聴いてみるようになりました。…皆さんお分かりかと思いますが、この曲です。↓


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2021年のデビュー30周年の日に、突然配信された44作目のシングル、「紫の夜を越えて」です。

私はこの曲を最初に聴いたとき、ラジオで「空も飛べるはず」を聴いたときと同じ感覚に陥りました。現在では当たり前のように使われている打ち込みやシンセサイザー、それらが無い、完全に(当時の)私の想像しているバンドサウンドで勝負している、いい意味で時代に逆らっている、様々な感想が次から次へと思いつき、気が付けばもう一回、もう一回と、何度もリピートしていました。さらにその日の夜にメンバーによるYouTubeでの生配信があり、(「紫の夜ラジオ」とかのタイトルだったかな)それも聴きました。この日は朝から晩まで本当にスピッツ祭りで、生配信が終わった後の私の頭には、一つの決断が下りました。

Ω「このバンドの活動をもっと追い続けたい!一人のファンとして、この人達に関わっていきたい!」

こう誓った私は、その年の春休みのうちにシングルコレクションをすべて揃えて、ボーカルの草野さんのラジオ番組「SPITZ 草野マサムネのロック大陸漫遊記」を毎週欠かさずリアタイするようになり、どんどんスピッツの虜になっていきました。

★君と出会った奇跡が この胸にあふれてる

空も飛べるはず」の歌詞の一節なのですが、私は本当にスピッツに感謝しています。

私は中学1年生のころ、新しい生活環境に某ウイルスの感染拡大、学校の年間行事も中止にせざる負えない最悪な状況下で、怯えていました。学年のメンバーは小学校時代と変わらないはずなのに、…周りとの関わりよりも某ウイルスを優先して考えてしまう、部活もあまり楽しくない、そして何より、中学生になったという実感がわかなかったのです。定期テストにも慣れない、入学して最初の2か月はずっと家に留まって、学校から渡された課題をひたすらやる、中々自分が想像するスタートダッシュを決めることができなかった、そして生きること自体が苦痛に感じました。

6月になり、分散投稿が始まって、ようやく学校に行ける、でも、やっぱり慣れない、幸い、小学校時代からの友人と同じクラスではあったけれど、やはりこの状況下では落ち着いて話せない…。

前期は放送委員もやっていましたが、小学校時代の延長線的な考えでやっていました。当時は朝放送のみで、昼放送は感染のリスクから考えて後期まで昼放送はありませんでした。だからといって、後期になっても続けようとは思っていませんでした。もし昼放送を担当したところで、どのような曲を流せばいいのか、昔の曲は少し知っているものの、自分の持ち味が出せない、そもそも持ち味が無い、そう思い、後期は放送委員にはなりませんでした。

そのまま月日が流れ、先生たちと話したり、クラスメイトとも警戒せずに馴染めてきたけど、まだ中学生の自覚がなかった頃、学年末テストを数週間後に控えていた私がラジオで耳にしたのが「空も飛べるはず」でした。

その後、少しずつスピッツを追っていくようになり、さらには昔の曲たちを今のように聴くようになり、私は満を持して、放送委員のクラスメイトに「空も飛べるはず」をリクエストして、その曲を流してもらいました。ほんの一瞬でしたが、私にとっては大変満足でした。

さらに深く掘っていって、本格的にファンになろうと決断して、2年生に進級した私は、放送委員に復帰しました。そこで最初に私が選曲したのは、「空も飛べるはず」、…これは私が決めたのではなく、とあるクラスメイトの人に声をかけられ、「ぜひともかけて欲しい」とリクエストを頂いたからです。

もしスピッツと出会わなかったら、私は放送委員に復帰していなかったし、ずっと中1の時の私のままだったかと思うと、本当に感謝しかありません。大袈裟かもしれませんが、私を変えてくれた曲、私を変えてくれたアーティスト、…本人たちに届くかは分かりませんが、ありがとうございます。

遠くでないてる 僕らには聞こえる

魔力の香りがする緑色のうた声

顔じゅういっぱい僕に微笑んでよ

風に飛ばされるまで気まぐれな蝶

僕らこれから強く生きていこう 涙がこぼれそうさ

ヒバリのこころ

(written by 草野正宗)

1991年発売のデビューシングル、「ヒバリのこころ」のサビの歌詞です。

昔、草野さんはこの歌詞に出てくる「僕ら」とは、「自分たちの事」だと語っていましたが、本当にその通りだと思います。

1991年の3月25日、メジャーデビューを果たしたスピッツ、初期は自分たちがやりたいサウンドを鳴らし続け、4作目の「Crispy!」にて一気に方向転換をするも失敗に終わり、…でもシングルカットされた7作目のシングル「君が思い出になる前に」で初のチャート入りを決め、そこからどんどん人気を博し、11作目のシングル「ロビンソン」で爆発、裏でメンバーは苦労していたものの、それでも乗り越えていきました。そして1999年、「マイアミショック」にて一度途絶えてしまうものの、翌年に発売されたアルバム「ハヤブサ」でかつてのバンドサウンドに戻って、そこから現在までプロデューサーを務める亀田誠治さんと再び道を歩き始めました。でも、それもまた、途切れてしまいます。

2011年、東日本大震災や草野さんの急性ストレス障害、また歩みを止めてしまったのです。

そこから2013年に38作目のシングル「さらさら/僕はきっと旅に出る」、14作目のアルバム「小さな生き物」、2016年発売の41作目のシングル「みなと」、15作目のアルバム「醒めない」で新しい旅への準備をして、2019年、アルバム「見っけ」で新しい道を歩み始めます。ただし、そこでも問題が発生しました。

某ウイルスの影響でツアーの後半の公演が1年以上の延期の末、中止になりました。

その間に1夜限りのコンサート「猫ちぐらの夕べ」を開催して、その後「MIKKE」を「NEW MIKKE」と改めて、ツアーを完走しました。この二つのライブについては、こちらで語られています。


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そして「見っけ」の一連の流れを終えたメンバーは、5月に発売されるアルバム「ひみつスタジオ」に向けての活動を始めていきます。

…下手にカッコつけてまとめてしまいましたが、これまでこのバンドがたどってきた足跡を、私たちスピッツファンも追い続けています。

これからも永く、様々な伝説を残してほしいです。改めまして、本当におめでとうございます!

★以上!

…と、ここまで私のスピッツ愛を詰めすぎた結果、なんとΩ`s Music Film史上、最長のブログが完成してしまいました。後半が本編みたいになってしまいましたが、このバンドは一生ついて行くつもりです。私にとって、色々な事を学ばせていただいたバンドですから!

これ以上は長くするとヤバそうなので、ここら辺で切りますね。語り出したら止まらない気がしますので…。それでは最後にこの曲をのせて、お別れとしましょう!

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。ではではー。


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