注意!
このブログは、前回の続きです。前回の記事を見ていない方は、そちらを先に見ることをおすすめします。↓
また、前回に続いて、長いです。ご了承ください。
-前回のあらすじ-
幼稚園に入園する前、L⇔Rや70年代の曲を、親の影響を受けて聴いていた私、お気に入りのラジオ番組も出来て、当時の流行を抑えていました。だがしかし、年長の頃にインストゥルメンタルの曲にはまり、徐々にJ-POPから離れていきました。曲の好みも変わり、小学校5年生までは、J-POPを全く聴いていなかったのですが…。
- ★水曜どうでしょう
- ★音ゲーで出会ったスキマスイッチ、チェッカーズ、再開したゴダイゴ
- ★70年代、80年代、2000年代…
- ★90年代には…
- ★一つのアーティストだけに焦点を当てられない
- ★スピッツとの出会い
- ★そして現在…
- ★スピッツとMr.Children
- ★以上!
★水曜どうでしょう
私がテレビ番組、「東京フレンドパーク」を見ていると、少し気になる俳優さんに出会いました。大泉洋さんです。とにかく隙あらばボヤキを入れて、第一印象は「うるさい人」でした。そんな放送の中、とあるアトラクションで、大泉さんの過去の映像が放映されました。それが、水曜どうでしょうの一場面(確かベトナムのヤツだったかな?)でした。
…と言われても、「水曜どうでしょうって、何?」と言われてもおかしくないと思いますので、軽く番組の説明をします。
『水曜どうでしょう』は、北海道テレビ(HTB)制作のバライティ深夜番組。通称は「どうでしょう」・「水どう」など。シンボルキャラクターは福助人形。
(Wikipediaより引用 一部抜粋アリ)
大泉さんとミスターこと、鈴井さん(鈴井貴之)が進行を務めております。当時の私は、その番組に興味を持ち、地元のテレビ局で放送されている「水曜どうでしょうclassic」(現・水曜どうでしょうプレミア)を見始めました。そこで私のこれからの音楽事情に膨大な影響を与えた、とある曲と出会います。
樋口了一さんの、「1/6の夢旅人2002」、2003年の曲です。私はこの曲を聴いて、…大げさかもしれませんが、音楽に対する考え方と、自分の今後の人生を変えてくれました。YouTubeでも何回も聴きましたし、昔の曲の中で、一番最初に歌詞をフルコーラス覚えたのもこの曲です。それと同時に、それまで聴いていたstyle-3!とかボカロとか、あまり聴かなくなりました。
★音ゲーで出会ったスキマスイッチ、チェッカーズ、再開したゴダイゴ
「水曜どうでしょう」を見始めた頃、私は音ゲーにハマっておりました。特にゲームセンターでやるアーケードの音ゲーは一通りやっていて、中でもやり込んでいたのが、「チュウニズム」と「maimai」でした。
そんなある日、家で父の部屋を整理していると、とあるDSのソフトを発見しました。その名も、「燃えろ!熱血リズム魂 押忍!闘え!応援団2」です。
Ω「これ、明らかに音ゲーでしょ!」
そう察した私は、そのゲームをやってみることにしました。ただ、ルールがよく分からない。リプレイ映像を漁って、それで出会ったのが、この曲です。
スキマスイッチの「全力少年」、2005年の曲です。聞いた瞬間ハマって、その曲は程よい難易度だったこともあり、よく選曲していました。その後、他の収録曲も見ましたが、一つだけ、聞き覚えのあるタイトルが…。
ゴダイゴの「モンキーマジック」、1978年の曲です。ゴダイゴは前回、「銀河鉄道999」を取り上げましたが、こちらも有名な曲です。この曲も、よく選曲しておりました。また、プレイ動画を見て気になったのがこの曲です。
チェッカーズの「ジュリアに傷心(ハートブレイク)」、1984年の曲です。サックスの音が気持ちよくて、よく原曲も聴いておりました。(…というか、今の10代がチェッカーズって、おかしな話ですよね←自分で言うな)
この音ゲーは、本当に何度も繰り返しやっていました。制度関係なく、もう本当に楽しめた音ゲーでした。
★70年代、80年代、2000年代…
樋口さんや先程の音ゲーの影響で、だんだんと昔の曲を聴いていくようになりました。古くは1970年代、そこまで深く興味は持てなかったものの、ゴダイゴはよく聴いておりました。THE BULE HARTSの「リンダリンダ」(1987年)やX JAPANの「紅」(1989年)、サンボマスターの「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」(2006年)、GReeeeNの「キセキ」(2008年)、…とにかく気に入った曲はヘビロテしまくっておりました。また、テレビで歌謡曲の特番があったらそれを見たりと、もう昔の曲を聴くことが日課になってしましました。
でも、ここまで見て気付いた方も多いのではないでしょうか、まだ、「アレ」が出て来ておりません。実はですね…
★90年代には…
何故か90年代の曲たちはあまり聴いておりませんでした。一応、名前だけは聞いたことがあるアーティストはいたのですが、中々曲を聴くまでにはいかず、完全に他の年代の曲に、マウントを取られてしまいました。流行歌も少しは聞き始めたものの、最近の曲を完全に網羅しきっていたりはしておりません。まず、私には、一つの問題がありました。
★一つのアーティストだけに焦点を当てられない
昔の曲も今の曲も、調べて気に入ったものを聴いていてばかりだったかもしれません。
ハッキリと、「推し」と呼べるアーティストが全くいない。
今の若者は、(あくまでも私の偏見ですが)J-POPなら、男性は「official髭男dism」や「Tani Yuuki」、女性なら「Ado」やikuraさんの「YOASOBI」あたりでしょうか、他にも「乃木坂46」とか「なにわ男子」とかのアイドル、もっと広く見ていけば、K-POPだってそうです。誰でも最低一つは「推し」と呼べるアーティストがいるのではないかと思います。でも、当時の私は、様々なアーティストの有名な曲をとにかく聴いておりましたので、そのアーティストとか、ほとんど意識していませんでした。だからといって、ファンの人と話せるぐらいの知識もありませんでしたし、「とりあえず、昔の曲が聴ければ、何でもOK」という考えでした。…そう、
中学生になって、とあるアーティストに出会うまでは。
★スピッツとの出会い
中学校へ入学して、色々あって半年たったある日、お昼の給食時間の放送で、スピッツの「ロビンソン」と「チェリー」が流れました。当時の校内のお昼の放送は、基本が最近のヒット曲、特にジャニーズやK-POPなどのアイドル系がほとんどで、全く昔の曲なんて流しておりませんでした。でしたので、急に90年代の曲が流れて、新鮮だなと思いました。…そうです。当初は「思っていた」だけだったのです。
その後、いつものようにラジオを聴いていたら、同アーティストの別の曲が流れてきました。
「空も飛べるはず」、1994年の曲です。私はこの曲のイントロを聴いて、衝撃を受けました。
Ω「最近の打ち込みのポップな曲調に慣れているからか分からないけど、何!このイントロ。カッコよすぎなのだが!」
また同じ時期、父がかつて使っていたiPodが、今でも使用可能だったので、それを父から借りて、何曲か聴いておりました。そんな中、少し話はミスチルにそれますが、この曲もよく聴いておりました。
皆さんご存知、「Tomorrow never knows」、1994年の曲です。この曲はとあるバライティー番組で使われていたことで知って、実は一度だけ、中学校のお昼の放送でも流れていました。また、スピッツもミスチルも、90年代前後の曲のベストアルバムが家にあったので、他の曲にも興味を示しました。
★そして現在…
昔の曲を聴き始めて、2年半、ほぼ毎日必ず聴いています。また、スピッツとMr.Childrenとの出会いがきっかけで、この2組の曲は、最近のモノまで、ほぼ網羅しております。いつかはライブにも参加してみたいです。最近の曲も何曲が聴いており、音ゲーでもよく選曲しております。ボカロとかはそこまで頻繁に聴かなくなりましたが、それでもたまにふと思い出したかのように、聴いております。また、曲の好みも変わって、今なら「バンドサウンドのスカッとなれるような曲」が好みです。
★スピッツとMr.Children
この二組には、本当に感謝しかありません。勿論、樋口さんとか、他のアーティストの皆さんもですが、個人的にこの2組だけは、ちょっと特別な印象を抱いております。この2組を、どうしてそこまで追っているのか、話したい…と思っておりましたが、尺が足りないので、また別の記事で更新していきます。では、最後にこちらの曲を…。
スピッツの「紫の夜を越えて」、2021年の曲です。若干のネタバレになりますが、この曲、私がスピッツファンになったきっかけの曲なのです。…まぁ、その経緯とかは、その時にお話ししようと思います。
★以上!
前回に引き続き、長い記事になってしまいましたが、ここらで完結です。ここまで読んでいただきありがとうございました。ではではー。